新潟県出身で実家は浄土真宗本願寺派(西本願寺)の寺。龍谷大学文学部真宗学科卒業。 青二塾大阪校第16期卒。2002年、『アクエリアンエイジ』で声優デビュー。2007年2月、青二塾大阪校出身者・正所属のページにプロフィールが掲載された。 家の事情で仏教系である龍谷大学文学部真宗学科に入学 。1回生半ばに実家から「仏教関係じゃなくても好きなことをしていい」と言われたため、自分のやりたいことを模索していた。2回生の頃、中学時代に聞いていたラジオを思い出し、声優に興味を持つようになり、大学と並行して青二塾大阪校に通うことになった。中学生の頃に聞いていたラジオのパーソナリティーが声優だったため「こんな仕事もあるんだ」と憧れて、声優を目指すようになった。 死去した鈴木富子や松来未祐から持ち役の一部を引き継いでいる。 幼少の頃は神経質かつ人見知りの激しい性格で、布団の位置がずれているだけで眠れなかったという。小学4年生頃に鉄棒から落ちて石で頭を打ち、さらに登り棒で「手を離したらどうなるんだろう」とわざと手を離し再び頭を打った。親によると、それ以来性格が変わり、ふわふわした地に足が着かない感じの子になり、布団の位置など細かいことを気にしなくなったという。 本人は「人見知り」と語るが、友人は多い。大原さやか・斎藤千和・葉月絵理乃・水橋かおり等(以上全てARIAの共演者)、共演者とプライベートな用事で出かけることも多い。『キミキス』の現場では田中理恵や野川さくらとも仲が良い。 斎藤千和とは『ケロロ軍曹』や『ARIA』で親友同士の役で共演している。どちらも佐藤順一が監督した作品である。 皆川純子と組んで放送の『純子と涼のアシタヘストライク!』は当初は短期シリーズの予定だったが、3年9ヶ月にわたって放送された。皆川と共に各種企画CDも発売されている。第1回放送で皆川と初対面の際に「江戸の風」と称した。 『コヨーテ ラグタイムショー』で、生天目仁美・佐藤利奈・下屋則子と「KAT-TUN会」なる親睦会を結成している。小林賢太郎(芸人。お笑いコンビ・ラーメンズのメンバー)や本郷奏多のファンでもある。 女性声優では数少ない競馬ファンでもあり、柴田大知騎手のファン。グリーンチャンネル『競馬場の達人』に出演した際は12レース中10レースを的中させた。またパチンコ・パチスロにも手を出すようになったという。本人は大一商会のパチンコ「CR DRM」で、アリエス=スピンディジー役として声を担当している。 趣味は写真撮影、通信販売やインターネットオークション、写真撮影に関しては小型のポラロイドカメラを手に入れて以来趣味となっている。 小学5年生まで補助輪をつけて自転車に乗っていた。恥ずかしい感情はなかったが、小回りが効かないという理由で補助輪無しでの乗車を練習するようになった。乗れるようになってからは「ただ乗るだけではつまらない」と手放しで乗る練習をしてこれを習得。更に「手放しで弁当を食べられるようになりたい」と昼食の弁当を半分残し、学校の帰り道に手放しで弁当を食べながら自転車に乗る練習をしてこれも習得した。 中学時代の3年間はバレーボールが痛そうで嫌だという理由でソフトテニス部に属していたものの、顧問がテニスに関して全くの素人だったため「とりあえず走っとけ」と走り込みばかりさせられあまり上達しなかった。 中学時代は絵画に興味があり、新幹線に乗り一人で東京の美術館に足を運んだ。 高校時代は美術部に所属する傍ら、自ら文芸部を立ち上げた。書いた小説の内容は短めで、主人公のほとんどは死んでしまう話だったという。 大学では高校国語I種・中学国語I種の教員免許を取得。教育実習では道徳の授業をしたり、手品や工作もやったと話している。大学の同級生にシンガーソングライターのつじあやのらがいる。