榎本溫子
榎本溫子
榎本温子, 榎本温子, Enomoto Atsuko

生日:1979-11-01
年齡:45
性別:
身高:155.0 cm

三姉妹で三女。父親が50歳の時に生まれ17歳と14歳離れた姉がおり、2人の姉からも娘同然に可愛がられるなど、大切に育てられた。趣味は6歳からやっている茶道。前述の環境で育ったことが知られているのか、アニメやドラマCDでも、三姉妹や3人組の役が多い。オタクとしても有名であり、その知識は並外れているとも言われている。また無類のパン好きで、食べること以外にホームベーカリーで毎夜のごとくパン作りに勤しんでいる。 山本麻里安とは親友であり、2004年には合同自主企画「聖マリオン学院」を行ったりコラボレーションアルバム『HONEY』をリリースするなどしている。また、桑谷夏子を加えて3人でバレンタインイベントを開催したこともある。 『ふたりはプリキュア Splash Star』で共演した樹元オリエとも度々親交を深めており、サポーターズクラブ「Rainy Lady Palace」のブログに登場したり、また逆も少なくない。お揃いの服などもよく買っており、その親密ぶりは本人のツイッターなどにおいても再三、語られている。また同番組の主題歌歌手である五條真由美、うちやえゆかとも交流を持ち、この付き合いは後に「よにんでSUPER☆TEUCHI☆LIVE」というライブイベントへと発展する事となった。 また、この二人の歌手との出会いにより、歌に対して 「私は、私に歌える歌を歌おう。声優として歌を歌おう」という心持ちを得た。 [4] アイムに8年間在籍していた榎本が2005年9月から81プロデュースに移籍。本人の公式サイト上(「〜Chelsea〜」)では「何年もかかって決めたこと」と明確には書かれていなかったが、『榎本温子と木谷高明のサタデーナイト・メインイベント』(2005年9月3日・新宿ロフトプラスワンにて公開録音)第20回配信分で語った移籍の理由によると「当初はアイドル事務所をやろうと思ってアイムを始めたわけではなかった。(当時はまだ出来たばかりの事務所だったので)新しい事務所を業界の中に浸透させるのが大変だった。アイドル的なことが雑誌などで取り上げられたおかげで、アイムという事務所を世間に覚えてもらえてアイム祭というイベントも出来た。この先活動を続けていく上でアイドルというのは寿命があるなともちろん思っているし、私は役者になりたくて声優の世界に入ってきたのでこの先のことを考えて移籍する」と語った。なお、アイムの同期で同い年の釘宮理恵とは後にプリキュアで共演をしている。 以上の事により、声優の中でも演技者としての誇りを人一倍に抱いており、同時に関連専門職に対しても尊敬の念を欠かさない人物。しかし、それ故に、それら職業の「専門性」にも一過言を抱いており、いまだに自らを「未熟」と称する厳しさを持つ。そのため2013年6月16日に堀江貴文が放った声優の専門職性を疑問視するツイートに対して反論のツイートを放ち緒方恵美にとりなされて軽い騒ぎとなった[5]。 2005年12月4日に秋葉原で行われたエミルクロニクルオンラインのイベントにて同ゲームの廃人であることを公言した。オンラインゲーム歴は長く、2012年9月18日にニコニコ生放送で配信された『PSO2放送局 第1回』にゲスト出演した際には、初代PSOからのプレイヤーであることを公言している。 オリジナルの挨拶に「ぱっきゅんわ」がある。これはラジオ番組『ヴェクトライダーズRadio Someday』でパーソナリティをともに務めていた長沢美樹のオリジナル挨拶「がっつんは」を元にしている。 本人から直筆サイン入りの返事が来る企画を、サポーターズクラブ「Rainy Lady Palace」主導で行っている(往復はがきフェア)。このサインは1枚1枚榎本の手書きである。返事の到着時期は2006年が2月、2007年が3月であった。そのためサイン以外のイラストが、それぞれバレンタイン、雛祭りとなっていた。 2007年6月6日にミニアルバム「Rainbow」以来、約3年ぶりとなる個人名義マキシシングル「ココロレーダー」を発売した。 2007年12月22日、声優デビュー10周年記念本として「ユメノユクエ」を発売。 近年K-POP好きで、SUPER JUNIORのファンを公言しており、TwitterではELF(SUPER JUNIORのファンの総称)と交流もしている。好きなカップリングはハンチョル。 2016年3月7日,发表了与声优石井马克结婚的消息。 2018年8月9日,宣布与石井马克离婚。