クリスチャンの家庭で、賛美歌が子守唄だった。6人兄弟の末っ子 歯科医だった父親は中村が6歳のときに他界し、母が町役場で働きながら6人の子どもを育てた 中学校に入ると、吹奏楽部に入部。トロンボーンを担当した ニール・セダカやエルビス・プレスリーなどの音楽にのめり込んだ結果、高校を2年で中退 佐川満男とは10代のころ、大阪のジャズ喫茶で歌った仲間だった 作曲家として次々とヒットを飛ばし「先生」と呼ばれるようになる一方で、うつを発症。闘病中、サザンオールスターズの「いとしのエリー」を聴いて、「こんな曲自分には書けない」とさらに落ち込んだ。暗い曲しかかけないだろう、とどん底の状態で書いたのが梓みちよの「小心者」だった 2003年4月28日、歌手デビューする。 2020年12月20日午後11時50分、肝臓がんのため死去