(元)株式会社シルバーリンク(SILVER LINK.)代表取締役社长 兼 プロデューサー。 原SILVER LINK.董事长、社长、制片人。 現株式会社シルバーリンク(SILVER LINK.)統括プロデュ一サーです。 现SILVER LINK.总制片(制作统括、总制作人)。 文:金子逸人 (摘录于Newtype专栏文章里金子逸人写的某篇文章) とりあえず今回は連載一回目なので自己紹介をしていきたいと思います。 这是这次连载的第一篇,所以我想先做一下自我介绍。 2000年に代々木アニメーション学院東京校アニメーター科を卒業し、フロントラインという制作会社に制作進行として入社しました。よくアニメ業界に来た理由を聞かれるのですが、元々、映像系か音楽系の仕事をしたかったんです。映画やTVとかでEDクレジットが流れているんですが、そこにスタッフの名前が出ているのを見て、僕もTVに名前の載る仕事をしたいなって思って。 2000年毕业于代代木动画学院东京本部动画系,而后作为制作进行加入FRONT LINE从而进入动画业界。本身就想从事影像或音乐相关工作,理由是看到电影、电视上播放的片尾表记出现了工作人员的名字,就也想从事能在电视上刊登名字的工作。 アニメの仕事を選んだきっかけは「スレイヤーズ」という作品で、高1の時にTVアニメをやってたんですが、まぁ~これが凄く面白くて。ビデオに撮って何度も観ていました。昔からアニメは結構見ていたんですが、これは別格で。なんとなく絵も描いていたのでよくマネして書いていました。 选择动画行业的契机之一是《秀逗魔导士》系列作品,高一时候做过动画,感觉很有趣。还有相关视频,反复看了好多次。虽说之前就看过很多动画,但这次是特别的。 也经常画画和写东西。 さらにその時、番組中に代々木アニメーション学院のCMもよく流れていたんです。就職率100%って謳い文句で。へぇ~アニメの学校ってのがあるんだって知り、ここに通えばアニメを作る会社に入れるのかなって高校卒業後に入学しました。もともとはアニメーターを目指して毎日絵を描いていました。でもなかなか上手く書けなくて。あっという間に就職活動の時期になってしまい、ダメ元で作画会社を1件受けたんですが当然不合格。 此外在电视节目中看到代代木动画学院的广告,宣称就业率100%,从而得知这家动画学校,因为打算进入动画行业所以高中毕业后选择进入这家学校。最初设想成为一名动画师然后每天画原画,然而画得并不出彩。很快到了找工作的时候,投了家作画会社,结果不合格。 アニメーション学院の先生から「お前、就活どうすんだ」なんて言われながら求人票を見ていた時、『制作進行 月給15万』という文字を見つけて、先生に話を聞くと制作進行とはスケジュール管理とかする仕事。頑張れば監督やプロデューサーになれるって聞いて、すぐに応募しました。正直、会社はどこでも良かったんです。アニメの仕事ができるなら。 当在浏览求人票上的相关招聘时,动画学校的老师来问我在找什么工作?看的“制作进行 每月15万日元”,咨询老师得知这岗位是负责管理动画制作日程的,努力工作的话也能成为导演或者制片人,于是马上就申请了。公司挺好的。就在那里一直从事动画制作工作了。 それで内定をいただけたのがフロントライン。制作が自分を入れて3人という小さな下請制作会社でした。いろんな制作会社の作品グロスでお手伝いをさせていただきました。怖い演出さんや元請けのデスクやプロデューサーに毎日ギャーギャー言われながら仕事をしていました。 这就是成为FRONT LINE制作进行的原因了。这是一家小型下请制作会社,包括我在内总共三个人负责制作相关工作,每天周旋于元请厂恐怖的演出家、紧张的制作日程和制片人之间。 そんなこんなで会社を始めようと思ったのは7年目のころ。アニメ制作をしていて現状の仕事だけで満足できず、次のステップアップをしたいと考えてたんです。下請制作会社だったので、あまり企画を出すとかそういう機会もなかなかなくて。あと2、3年で30歳になるし、自分で企画したアニメを作りたいと思う気持ちが強くなってたんです。そんな時、社長から「やりたいなら独立したらどうだ?」と声をかけていただいて。 到了第七年,不再满足于目前的动画制作工作,想采取下一步行动。FRONT LINE是下请制作会社,所以很难提出动画企划,但想想再过2、3年就三十了,想做一部自己企划的动画作品。带着这个想法去找社长,社长问:“(既然你想这样做的话)独立怎么样?” 正直、即答しました。ありがたいことに退職金も出してもらえて。それを元手に会社を設立してさっそく仕事を始めたのですが、まぁ…大変でした。※その辺は次回以降で。 当时就立刻答应了,(社长)还给了遣散费。于是创设了自己的公司(株式会社シルバーリンク、SILVER LINK.),开始了下一步工作。