井上大輔
井上大輔
Inoue Daisuke

生日:1941-09-13
年齡:83
性別:
身高: cm

井上 大輔(いのうえ だいすけ、1941年9月13日 - 2000年5月30日)は、日本のミュージシャン、作曲家。本名及び旧芸名は井上 忠夫(いのうえ ただお)。 東京都出身。日本大学豊山高等学校、日本大学芸術学部卒業。 1963年、ジャズ喫茶で演奏中、ジャッキー吉川・大橋道二にスカウトされジャッキー吉川とブルー・コメッツに参加、リード・ヴォーカル、フルート、サックスを担当。作曲も行い、「青い瞳」「ブルー・シャトウ」などの曲を書いてヒットさせた。なお、ブルコメ参加時に寺内タケシの勧めでそれまでしていたメガネからコンタクトレンズに変えている。 1972年のメンバーチェンジ(実質的な解散)後、作曲家に転身。「学園天国」「ランナウェイ」など、数多くのヒット曲を放った。 1981年1月のジャッキー吉川とブルー・コメッツ再結成に参加した後に井上大輔に改名。ロカビリー時代に内田裕也がとっさに「井上ダイスケ」と誤って紹介したことから、仲間内では「ダイちゃん」と呼ばれていたのがもともとのきっかけ。 日大芸術学部の同級生で友人の富野喜幸(現・富野由悠季)の頼みで手掛けた劇場版『機動戦士ガンダム』シリーズの主題歌「哀・戦士」(第2作)、「めぐりあい」(第3作)や、コカ・コーラのCM曲「I FEEL COKE」などのソロ作品がヒットした。 サックス・プレイヤーとして、山下達郎の「悲しみのJODY」「スプリンクラー」などに参加したほか、1969年の第20回NHK紅白歌合戦では紅組トリを務めた美空ひばりが歌唱した『別れてもありがとう』のサックス演奏で出演している。 2000年5月末、網膜の疾患を苦に自宅で自殺。満58歳没。その年の暮れに堺正章や内田裕也らが音頭を取って井上大輔音楽葬が開催されている。