日本のアニメーター。スタジオ・ヴィクトリー代表である。男性。島根県出身。 漫画家を目指していたが、東映映画部の興行部長を務めていた伯父の誘いを受け、1958年に東映動画(現:東映アニメーション)に入社。『かっぱのぱあ太郎』や『白蛇伝』など同社の初期作品に携わった。 その後、手塚治虫が『西遊記』の制作に参加したことをきっかけに虫プロダクションへ移籍。『鉄腕アトム』に携わった後、虫プロの下請け会社としてVEFプロダクションを設立して『W3』を手がけたが、虫プロの経営悪化によりVEFプロダクションも解散してフリーとなる。 日本放送映画(後の東京テレビ動画→日本テレビ動画)に移籍し、『戦え!オスパー』や『夕やけ番長』などの演出・作画を務めて独立した後はフリーを経て土田プロダクションで『キャプテン翼』などでキャラクターデザイン・作画監督を務める。1987年には作画スタジオ「スタジオ・ヴィクトリー」を設立し、同社の代表に就任した。 1970年代は実写特撮作品にもキャラクターデザイナーとして参加したことがある。『正義を愛する者 月光仮面』に参加したことをきっかけに、同じ川内康範原作の実写特撮作品『レインボーマン』や『ダイヤモンド・アイ』のキャラクターデザインを担当。その後も『月光仮面』などの萬年社から東宝の『流星人間ゾーン』、日活の『電撃!!ストラダ5』などの実写特撮作品のキャラクターデザインも担当した。