東京デザイナー学院中退後、作画スタジオをひとつ経て、フリーの動画マンとして日本サンライズに席を置く。 そこで湖川友謙と知り合い、ビーボォー入社を直訴、同社の所属となる。 氏にとってビーボォーは当時憧れのスタジオだったそうである。 ビーボォー時代は恩田尚之や故・わたなべぢゅんいちと親しく、3人で遊びに行くことも多かったという。 半年ほどビーボォーに在籍した後、北爪宏幸らと独立しスタジオぱっくを結成。 その後身であるアトリエ戯雅にも在籍し、同スタジオ解散後、フリー。 80年代末から90年代前半にかけては、佐野浩敏、松尾慎、高見明男らとフリー集団のスタジオ、EDGEを結成し、そこに籍を置いていた。 基本ロボ描きだが、リアル系のメカ・エフェクトも得意とするため、劇場作品には戦車や戦艦の作画要員としても数多く参加している。 特にハイディティールな作画が求められる傾向の作品に参加することが多い。 ガンダム描きで真っ先に氏の名前を挙げなければ、業界ではモグリらしい。(とはいえ、劇Z以前では一般の認知度はさほど高くなかったと思われる)