広島県呉市出身の日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナー、監督、作画監督、演出家である。マッドハウス所属。東京デザイナー学院アニメーション科卒業。日本アニメーター・演出協会 (JAniCA) 会員。 1980年代は東映動画作品で、1990年代から2000年代まではマッドハウス作品で、数々の漫画を原作とするテレビアニメのキャラクターデザインを手がけて来た。演出家としては、広島出身ということもあり、プロ野球球団「広島東洋カープ」設立を題材としたアニメ映画の監督を任せられた。 東京デザイナー学院(現東京ネットウエイブ)を卒業後、アニメ制作会社朝日フィルムへ入社。朝日フィルムは東映動画作品の外注を主にこなす会社で、兼森はここでテレビアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』(第2作)や『マジンガーZ』の作画をこなす。『マジンガーZ』の途中で、海外とのアニメの合作を主にするトップクラフトへ移籍。さらに洋燈社を経て、1976年に作画スタジオスタジオバードを設立した、メンバーは兼森の専門学校の同期生で、朝日フィルムから行動を共にして来たアニメーターの稲野義信(秋野洋一)、及川博史である。 1970年代後半から1980年代前半は、スタジオバードで東映動画作品を中心に活動し、特にテレビ版『銀河鉄道999』では主力の作画スタジオとなって活躍した。これが認められて、後番組のテレビ版『新竹取物語 1000年女王』(1981年)ではスタジオバードの面々がキャラクターデザインに抜擢され、兼森は総作画監督の責を負った。東映動画ではこの後も、1983年『ストップ!! ひばりくん!』、1984年『夢戦士ウイングマン』、1985年『ゲゲゲの鬼太郎』、1988年『ひみつのアッコちゃん』と立て続けにキャラクターデザインを任せられた。 やがて、稲野がサンライズを仕事の中心にするなどして、兼森も東映動画中心のスタジオバードから、1989年のテレビアニメ『YAWARA!』のキャラクターデザインの仕事から仕事の拠点をマッドハウスへと移した。以後、演出にも進出しながら、数々の作品をこなした。一般のアニメ以外にも、1993年にはテレビ朝日のニュース番組『ニュースステーション』のオープニングアニメーションの作画を担当している。