台湾出身。アニメーター、キャラクターデザイナー、任天堂開発アドバイザー。アニメーターの故・奥山玲子は妻。 幼少の頃、国策映画『桃太郎の海鷲』(芸術映画社)を観てアニメに興味を持つ。父親の趣味が油絵だった影響で絵を描き始め、東京芸術大学日本画科へ。『白蛇伝』を観て衝撃を受け東映動画に入社。後に妻となる奥山をはじめ多くのアニメーター達が積極的に主張して仕事を取ってくるタイプであるのに対し、小田部は自己主張をあまりしないが仕事はもらえる「得なタイプ」だったという。 東映動画を辞めた後Aプロダクションで『パンダコパンダ』の作画監督などを担当し、ズイヨー映像(日本アニメーション)へ。高畑勲監督の下『アルプスの少女ハイジ』『母をたずねて三千里』のキャラクターデザイン、作画監督。ハイジの頬のまんまるい赤みは、高畑監督の指示によりつけられたという。(『アルプスの少女ハイジ』のキャラクターデザインに四苦八苦していた際、同作品の演出である高畑勲に助言を求めたところ、『おじいさんをひたと見つめる少女を描いてください』と言われた。) フリーで『じゃりン子チエ』『風の谷のナウシカ』などに参加した後、1985年より任天堂開発アドバイザーに就任する。「ゲームの世界にかつての東映動画の空気を感じた」という。『スーパーマリオブラザーズ』のイラスト(オリジナルイラストのブラッシュアップ)や監修などを担当。アニメ『ポケットモンスター』のアニメーション監修も行っている。 2007年5月6日におしどり夫婦として知られた妻の奥山玲子が死去する。この際小田部は奥山の遺志なのか、しばらくの間このことを公表しなかった。7月にNHKBS2『BSアニメ夜話 母をたずねて三千里』に当時のスタッフとして貴重なテレビ出演をするが、この際も奥山の死に触れることはなかった(誰も奥山の話題に触れなかったので当然)。9月に入り、大塚康生のBBSで大塚により初めて公表される。