日本の男性アニメーター。鹿児島県指宿市出身。 デザイン関係の専門学校でアニメーションを学んだ後、スタジオ・ルックで東映動画のテレビアニメ『新竹取物語 1000年女王』で1981年に動画デビュー。原画デビューはエイケンの『銀河パトロールPJ』になる。その後は『パタリロ!』『忍者ハットリくん』『トンデラハウスの大冒険』『スペースコブラ』などを担当。特に『忍者ハットリくん』は1年手がけ、ゲストキャラクターのデザインをすることができたという。1983年からは国際映画社の『亜空大作戦スラングル』『ななこSOS』『超攻速ガルビオン』に参加。この頃、『スラングル』の10話で作画監督、『ガルビオン』のオープニングアニメ原画を行い、フリーとなる。 その後の日本サンライズのテレビアニメ『巨神ゴーグ』が大きな飛躍になる。アニメーターの安彦良和が監督した『巨神ゴーグ』は厳しい作画チェックが行われ、作画監督もほぼ全話を安彦が行なっていたが、土器手の実力を安彦が認め、安彦以外で唯一作画監督を任せられた。ソノラマ文庫から出版された小説版『巨神ゴーグ』のイラストも描いている。この仕事で日本サンライズと繋がりができ、小説『ダーティペア』のテレビアニメ化の際、吉井孝幸プロデューサーからの依頼で、小説版でイラストを描いていた安彦良和に代わって、キャラクターデザインを担当することになった。 アニメ雑誌が力を入れていた『ダーティペア』のキャラクターデザインに抜擢され、また『うる星やつら』の作画監督を務める。当時のアニメ雑誌『アニメージュ』などでは表紙イラストを描き、特集記事が組まれるなどしている。1985年、『ダーティペア』の制作に入ると同時に、3人の仲間と「集団スタジオじぱんぐ」を結成。