冨田 勲(とみた いさお、1932年4月22日 - 2016年5月5日 )は、日本の作曲家、編曲家、シンセサイザー奏者。 1950年代、慶應義塾大学文学部在学中に作曲家として活動を始め、NHKや民放における数々のテレビ番組、また映画や虫プロダクション関連のアニメーションなど多くの作品で音楽を担当した。特に大河ドラマやNHK番組、虫プロアニメの主題曲、BGMは、繰り返し単独やオムニバスでレコードやCDが発売されて今なお愛され続けている。これらの多くではまだ電子音はほとんど取り入れられていないが、メロディ作りにもアコースティックのオーケストレーションにも才能を発揮し、各社のオファーは絶えなかった。 初期のころにおいては、作曲家として活動する一方、従来のオーケストラという演奏形態に飽きたらず、新たに出現してきた電子機器と古典的な楽器を融合させるなど、様々な音楽の可能性を追求した。その後1969年にモーグ・シンセサイザーと出会ったことが転機となり、これ以降は古典的名曲をシンセサイザーによって現代的な解釈を加えて発表するという活動が中心となった。「イサオ・トミタ」の名は、広く世界に知られている。