日本の脚本家。主にアニメ作品を手がける。日本脚本家連盟会員。 東京都出身。中央大学付属高等学校在学中からSF大会などに参加し、拓殖大学商学部在学中にSFビジュアル系の同人会SFセントラルアートを運営。仲間の高千穂遙(当時は竹川公訓)、宮武一貴、加藤直之と共にクリスタルアートスタジオを設立。1974年にスタジオぬえへ改組する。 初期はイラストレーターとして活動し、『宇宙戦艦ヤマト』の前身の企画ではヤマトの原案となる「アステロイドシップ」をデザインし、同作品中では複数の敵メカニックも手がけていた。『無敵鋼人ダイターン3』より脚本家へ転向し、以後、日本サンライズ(現サンライズ)などのロボットアニメ作品に参加。『機動戦士ガンダム』ではSF考証も担当し、近未来の世界観創出に貢献した(後述)。 スタジオぬえでは高千穂に次ぎ2代目社長に就任。自社企画作品として『超時空要塞マクロス』、『超時空世紀オーガス』を発表し、シリーズ構成と脚本も手がけた。『超時空要塞マクロス』の登場人物、町崎健一の名前の由来ともなっている。その後退社してフリーとなり、アニメの他、ゲームの原作・脚本なども執筆している。 筋金入りのSFファンとしてスペースコロニー、ミノフスキー粒子、ソーラ・システムなどの各種SF設定を行い、富野喜幸(現富野由悠季)監督のイメージする作品世界を支えた。さらに、スタジオぬえの河森正治らが係わった同人誌「Gun Site」上で行われたガンダムの詳細なSF考証に注目し、これを「月刊OUT」編集部と共同で『ガンダムセンチュリー』にまとめた。このムックは作品外で世界観を深化させるガンダムシリーズ独特の設定文化を生み出すきっかけとなった。松崎は制作者の一員でありながら、作品に参加する楽しみ方をファンに示した存在でもあった。 当初モビルスーツの有用性を説明するためのレーダー撹乱兵器として考案したミノフスキー粒子は、「ミノフスキー物理学」と呼ばれるマニアックな疑似科学に拡大することになる。松崎が講師として専門学校に招かれた際、「ガンダムやマクロスのシナリオライター」と紹介されても受けがよくなかったが、「あのミノフスキー粒子を創った人です」と補足されると一気に教室が沸いたという。 また、脚本を担当した放送話では何故か入浴シーンが多かったことから、「浴場ライター」なるあだ名を頂戴したこともある。