東京都出身の日本の男性脚本家。主にテレビアニメを手掛けた。日本脚本家連盟会員。 中央大学文学部中退。大学4年生の頃に友人のりんたろうに誘われて、アニメ制作会社虫プロへ遊びに行った事がきっかけで、大学を中退しアニメ界に入る。富野由悠季とはその頃からの同僚。1967年に虫プロへ入社。文芸製作部に所属して、テレビアニメ『ムーミン』『さすらいの太陽』などの文芸担当を務める。1973年に虫プロが倒産してからは、フリーとして活動した。虫プロ出身者で作ったアニメ製作会社日本サンライズのロボットアニメには、1970年代終盤から1980年代にかけて多くを執筆。富野由悠季監督作品、高橋良輔監督作品、神田武幸監督作品といったサンライズ作品の多くを手がけた。サンライズ作品以外にも、東映動画などでも脚本を執筆し、ジャンルもロボットものからファミリーもの、ギャグものまで幅広い。 また、古きよきヨーロッパの映画のテイストが好みだったらしく、作品にもよくそれが現れている。特にイタリア映画のネオレアリズモにのめり込んだためか、『機動戦士ガンダム』においてカイ・シデンとミハル・ラトキエのエピソードにおいて、ヴィットリオ・デ・シーカ監督の代表作『自転車泥棒』のような話がやりたいという発案から来たのは有名な話である。 晩年には自身の著作本『星山博之のアニメシナリオ教室』で「アニメに求められているのは、案外『普遍性』なのだ」と述べた。また、小説家だった大河内一楼が、脚本家に転向する際に、星山が執筆した脚本を100回も読んで「アニメの脚本の書き方」を学んだという。 1999年に、ガンダムシリーズ放映20周年を記念した原点回帰を意図した作品『∀ガンダム』を製作するに当たって、富野由悠季が最初にコンタクトをとった人物でもある。 2007年2月7日、62歳で逝去。 自分が脚本を書いた作品について、星山は「僕が関わった作品は雰囲気がどこかやさしくなる」と語っており、『銀河漂流バイファム』の優しげな演出を見た富野も、自分の作品にこの作風が欲しかったようで嫉妬を抱いたと供述している。 主人公に「僕」の一人称を使う人物が多く、できるだけ乱暴な口調を避けた優しい言葉づかいが特徴。