奈良県出身。 東映動画→旧スタジオZ→旧スタジオNo.1→スタジオZ→スタジオNo.1→スタジオのんまると→スクウェア(現スクウェア・エニックス)(金田伊功GREATに掲載の人物相関図およびインタビューより) 東映動画の「魔法のマコちゃん」でデビュー。同期に布告文がいる。(動画王Vol.01より) アニメ作画界の革命児。 作画マニアで金田の名前を知らない者がいないのは勿論のこと、特に作画に入れ込んでいないアニメファンにもその名は知れ渡っている。それほどに彼のアニメートは派手で突拍子も無く、観客への訴求力が高い。 主にメカや人物のアクションシーンにおいて、掟破りと言えるほどの独自の表現を開発。 大胆にパースを歪ませ、ダイナミックな迫力をかもし出す金田パース 手首足首を思いっきり曲がらせ、ジャンプすると必ずガニマタになる金田ポーズ 変則的なタイミングで、予測不可能な動きをする金田動き ビームや爆発に凸凹のフォルムを塗す金田エフェクト 光の反射によるフレア現象を、円形の重ねで極端にディフォルメした金田光り 等・・・・。 これらの表現はあっという間に大勢のフォロワーを生み出し、80年代は数多くのアニメに金田フォロワーの活躍が見られた。 その筆頭に山下将仁、上妻晋作などがおり、個々による独自の解釈を繰り返して金田系作画は更なる発展を遂げていった。 過去のフォロワーが次第に金田系を脱却し、90年代半ばにはあまり目にしなくなったが、 近年では今石洋之、小池健などの新たな世代の金田系アニメーターが出現し、再盛の兆しを見せつつある。 一方で金田伊功本人は、一時期3DCG方面に移行しようとしていた事がある。 劇場版「ファイナルファンタジー」などの制作に関わるようになり、そのままスクウェア(現スクウェア・エニックス)に入社したため、 手描きアニメから距離を置くようになってしまった。 しかしゲーム「半熟英雄対3D」のOPアニメーションで、手描きアニメーターとしての健在ぶりを見せ、 その後も同社ゲームの劇中アニメーションの制作に携わるようになった。 晩年までスクウェア・エニックスに社員として在籍していたため、テレビアニメに関わる機会は極端に減っていたが、 インタビューでは一生、「一(いち)アニメーター」で行ければいいとの言葉も残していた。 2009年7月21日 心筋梗塞のため死去。享年58(57歳)。多くのアニメ関係者や往年のファンたちが、早すぎる逝去を悼んだ。