1968年10月28日生。三重県出身。高校卒業後、同級生の松田宗一郎と共に中村プロダクションへ。 板野一郎と大張正己に憧れ、アニメーターとなる。かつてはアニメインターナショナルカンパニーに所属していた。 宮崎駿との対談で庵野秀明は「板野一郎、最後の遺伝子」と彼の仕事を絶賛した(エヴァ劇場当時)。 「板野の認めた3人」の一人。メカニックや激しいアクションを描くのに長けており、「板野サーカス」と呼ばれる作画技術を完全に会得していると言われている3人のうちの1人(後の2人は庵野秀明と後藤雅巳)でもある。 タイミングは板野よりもむしろ大張に近い。 『交響詩篇エウレカセブン』にはキャラクターデザインを担当した吉田健一に誘われて参加した。同作品で特技監督の役職に就き、自分の持つ技術を存分に発揮した。ごくまれに演出も手がけることがある。