馬飼野 康二(まかいの こうじ、本名同じ、1948年1月26日 - )は、日本の作曲家、キーボディスト、アレンジャー、ミュージシャン。作曲家の馬飼野俊一は実兄。 愛知県豊橋市出身。大津美子のバックバンドや、ご当地ソングの作曲もしていた父・昇の影響で兄ともども幼少のころから家族でタンゴバンドを組むなど音楽や楽器に親しんでいた。 本格的に音楽の勉強をするために愛知県立豊橋商業高等学校卒業後、尚美高等音楽学園に進むが、1967年に小杉理宇造らと「ブルー・シャルム」というグループでデビューするため中退。しかし、同グループはシングルを4枚出しただけで1970年に解散している。 1972年の西城秀樹「チャンスは一度」の編曲を皮切りに、その後は作曲・編曲を中心に活動する。歌謡曲、アイドル歌謡から演歌、映画・テレビドラマ・アニメの劇伴、CMソングなど、幅広い分野で活躍している。一時期、ビーイングと関わったこともある。 Mark Davis、Jimmy Johnson、Michael Korgenというペンネームも持つ。1970年代後半以降、テレビCMで外国人アーティストが起用されることが多くなったことから、作曲家の名前も外国人風にということで付けられた。