森山雄治
森山雄治
Moriyama Yuuji

生日:1960-01-06
年齡:64
性別:
身高: cm

既婚。スタジオムサシ出身。 スタジオコクピットを経て、ネオメディア在籍時に「ザ☆ウルトラマン」で原画デビュー。(過去に存在したご本人のサイトより) 「戦闘メカザブングル」よりフリーになると、1982年の秋に北久保弘之、田村英樹、福島喜晴、市川吉幸と共にスタジオMINを結成。 その後は、スタジオファンタジア、カオスプロジェクトを経て再びフリー。 今でも氏の名前を聞けば「うる星やつら」のラムちゃんの作画を思い浮かべる人も多い。80年代の高橋留美子作品には欠かせないアニメーターである。 「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」制作時のアニメージュにおいて、押井守は氏についてこう述べている。 『タイミングのよさ、やわらかでホットな絵柄、きっちりしたレイアウトと総合的にこなす力がある。 ぼくはアニメーターというのはただ、原画を描いて背景原図を描くだけじゃないと思う。 たとえば、1シーンを預けたときにそのシーンのふんい気を総合的に考えられる人。フィルムになったときの責任を持てる人だと思う。 宮崎(駿)さんはそのタイプの典型。森山くんも宮崎さんのように映画の作り方にタッチできる人ですね』(アニメージュ1984年2月号より) 84年には押井と組み漫画に挑戦した事もあった。 北久保弘之が氏の作画の影響を受けていたのは有名な話。また北久保は当時の思い出にスタジオが新築マンションに引っ越した際、 氏がスプレーで壁にラムちゃんを描き盛り上がったが、それが消えずに後始末が大変だったエピソードを挙げている。(アニメージュ1995年10月号より) 板野一郎とは同期で、2人で学ランを着て研修に通っていた。「さらば宇宙戦艦ヤマト」制作時、2人は机を並べて仕事をしており、 眠くなると板野は自分の腿に鉛筆の先を刺したり、顔面を殴り鼻血を出しながら作業をしていた。それを見た森山は戦慄を覚えたという。(アニスタ板野談)。 またキャラだけでなくメカ作画も超一流でオネアミスの翼ではメカ作監として圧倒的な作画を見せる。 オネアミスの翼では上記の板野の原画をレイアウト・タイミングはそのままに作監修でディテールアップするというコンビネーションを見せている。 プロジェクトA子でアトム賞「作画監督賞」を受賞。 2000年以降は「幻想魔伝 最遊記」のヒットによりぴえろで女性向けを中心に担当。 2010年代に入ってからはラルケ(スタジオ雲雀)での仕事が多い。 00年代前半頃は作監クレジットで別名を使う事が多かった。確認できているだけで以下の通り。 「もとやまゆうじ」「森山ゆうじ」「もりやまゆうじ」「西宝壌土」「風間小太郎」「芝跨野渡也(柴又十哉)」「砂川則博」「MONTAN」 「阿藍隅史(ただし、森山以外も使う場合があるので注意が必要)」「猫部那智子」「魚田尹夫」「流川河童」