日本大学芸術学部卒業。かつては九プロダクションに所属していた。 小学生の頃に『がんばれ!ベアーズ』を見始めてから、映画に興味を持ち、小学生ながら、1回が朝の10時から夕方の6時や7時頃まで、1日中映画館にこもりっきりで、同じ映画を何回も何回も見直していたという。 「中学生になったら映画研究会のサークルに入ろう」と考えていたが、中学校には映画研究会は無く、ベアーズの団体行動に憧れて演劇部に入部した。しかし、その演劇部は女子部員が40人ほどで、男子部員は青山のみであった。芝居をすること自体は最高に楽しかったが、男が1人だけという疎外感を意識していた。高校に入ったら今度こそ映画研究会にと、密かに考えていたという。高校は男子高校に進学したが映画研究会がなかったため、演劇部に入部した。このことで役者を目指す大きなきっかけになったが、進学した高校の演劇部は過激な訓練で、この頃には芝居の魅力に完全に取り付かれていた。高校演劇の全国大会出場は狭き門であり、青山がいた高校は愛知県で中部地区に属しており、その中部6県、愛知県、岐阜県、三重県、福井県、石川県、富山県の中から1校だけしか全国大会に出られなかったものの、全国大会への出場を果たした。 大学に入学したころには、基本の理論も含めて演劇にまつわる全てを学ぼうと考え、完全に役者の道を目指そうと考えた。演劇青年として芝居にどっぷり漬かった毎日を過ごした。大学卒業後、大学の教員からイギリス演劇を勧められ、ロンドンに留学した。当初は数ヶ月のつもりであったが、2~3年に延びた。演技訓練については、「個人レッスンを受けて芝居見学がほとんどだったが、残りは精神的引きこもり」「イギリスばかりを見て、あのパターンが理想だと考え過ぎてしまい、日本人に出来る芝居、日本人に合う芝居、それがどのようなものか想像ができなかったのかもしれない」、「留学してヨーロッパ演劇を学んだため、今度は日本の古典劇もちゃんと勉強しなければいけないと思い、学生時代から歌舞伎座でアルバイトをしつつ、同時に小劇場を主宰した。その仕事以外にも、役者としてほかの劇団の舞台の客演には星の数ほど出演した」という。 歌舞伎座でのアルバイトをしている時、とある人から「青山は声に特徴があるから、声優に向いているかも」と勧められ、映像テクノアカデミアに入学する。卒業後、とあるシリーズの主役に抜擢される。インタビューで「少し大きな役で、クセのある役が来たのはどんな作品ですか?」という質問に対しては「ランドール・ボッグス」と答え、「すごく面白い役だった」と語っている。