小学校時代から絵画教室に通っていたが、中学校に入る直前あたりから本格的に漫画を書き始めるようになった。初めて完成させた作品は『邪鬼郎』というタイトルで、『柴田亜美のほん2』で「12-13歳の頃に初めて描いた漫画」として公開されている。 1990年に友人の勧めで『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場』に執筆を始め、ドラゴンクエストの世界観とは相容れない「ニセ勇者」シリーズを執筆して人気を博す。同年6月には「ソードマスター剣王伝説」でエニックスファンタジーコミック大賞奨励賞を受賞。ただし、当時はまだプロとしてやっていく気はなく、創刊企画時の『月刊少年ガンガン』からの度重なる執筆依頼を断っていたという。しかし、私生活上で嫌なことがありヤケになっていた時に、渋谷の路上でエニックスの編集者から「漫画を描かないか」と声をかけられ、思わず頷いてしまったことからプロになる決意を固めた(柴田亜美・エニックスナンパ事件とも言われている出来事)。 1991年に『月刊少年ガンガン』創刊号にて、「南国少年パプワくん」の連載を開始。2話目までは会社勤務と漫画連載を平行していたが、連載3話目以降は時間的に両立させるのが難しくなり会社を退職、漫画家の専業となる。「南国少年パプワくん」はアニメ化されるなどのヒット作となり、藤原カムイ、衛藤ヒロユキらと共に『月刊少年ガンガン』初期の牽引役となった。 その後エニックス(現スクウェア・エニックス)、集英社、講談社、小学館、アスキー(現エンターブレイン)、竹書房などでの連載経験を持つ。 2012年に『カミヨミ』の連載を終了して以降は、創作作品からは一旦離れ、エッセイ漫画の連載をメインの仕事としている。