日本の男性俳優、声優、ナレーター。本名は小川 治彦(おがわ はるひこ)。死去時点での最終所属先はヘリンボーンであった。俳優・小川ゲンの父。 東京市世田谷区出身。東京教育大学附属高等学校(現・筑波大学附属高等学校)卒業。血液型はO型。 田園調布出身で、父親は大手企業の社長だった。後に等々力に移住した。 少年時代は可愛らしい顔だったためカメラマンにスカウトされ、小学1年から3年まで『太陽少年』という少年誌の表紙モデルをやっていた。また、小学生から中学生になるまでクラシック・バレエを習っていた。 その後、作曲家を目指すが才能がないと思い断念し、普通の仕事に就くつもりだったが、高校を卒業するときに河内桃子の妹である友達から、俳優座養成所の卒業公演に招待され観に行ったところ、華やかで楽しそうだと感じ、父親に反対されながらも援助はいらないと説得して、大学進学よりも劇団に入ることを選んだ。そして俳優座に受かり、養成所に入る。当時は映画全盛期の時代で、映画俳優がテレビに出たがらなかったため、養成所の新人を探していたテレビ局関係者から抜擢され、石坂洋次郎原作の青春ドラマ『寒い朝』で十朱幸代の相手役としてデビューした。 養成所卒業後は文学座に入ろうとしたが、その年に文学座が劇団員をとらなかったため、小沢昭一が結成した俳優小劇場に入団する。その劇団には大塚周夫や小山田宗徳が在籍しており、小川自身も吹き替えの仕事に呼ばれていたが、ほとんどが少年役で、地声が低くダメ出しされることが多かったため吹き替えの仕事は断っていた。30歳を過ぎてから大人役が増え、『華麗なる世界』の吹き替えを1年間やり遂げた。それからは声の仕事でも活動するようになった。 2014年秋頃から体調を崩し、入退院を繰り返しながらレギュラー出演していた『クリミナル・マインド FBI行動分析課』の吹き替え収録などの役者活動を継続していたが、2015年2月に体調不良により全ての持ち役を降板、同年3月7日、器質化肺炎のため死去。74歳没。葬儀は近親者のみで執り行われた。