山口県徳山市(現・周南市)出身。 漫画家兼アニメーター、キャラクターデザイナー、イラストレーター。現在は株式会社カラーの相談役。 東京造形大学造形学部美術学科絵画領域専攻卒業。 大学在学中に秋田書店『週刊少年チャンピオン』第16回新人マンガ賞に入選し、漫画家としてデビューする。 翌年、大学の後輩の前田真宏の誘いで『超時空要塞マクロス』の制作に原画のアルバイトとして参加。 その際、『マクロス』の制作現場で演出助手を担当していた山賀博之と出会い、『DAICON Ⅳ OPENING ANIMATION』の制作に加わる。 大学3年次に前田真宏と共にテレコム・アニメーションフィルムの入社試験を受験し、これに合格。 既にTV版『マクロス』、『DAICON Ⅳ OPA』で原画の経験を積んでいたにもかかわらず、 大学卒業後、作画の現場そのものを見たいという理由で同社に第6期生として入社し、動画の養成を受けた。同期には田中達之、横堀久雄、滝口禎一らがいる。 (田中達之によれば、当時貞本は劇場版『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』の原画を担当しながら、テレコムにて動画の養成を受けていたという。) テレコムでは、当時、新人指導を担当していた大塚康生が「自分よりうまいと思った新人は月岡貞夫、宮崎駿、貞本義行だけ」と太鼓判を押す実力を見せるが、 「これは素人のはずがない」と感じた大塚に問い詰められ、貞本は事情を白状し半年足らず(アニメック1987年1月号では9か月と本人が語っている)でテレコムを去る。(元々は3ヶ月で退社しガイナックスへ合流する予定だった) (その後の「時をかける少女」作業時には、制作現場にテレコムの中核メンバーが多数いたため、恐れ多くて近づけなかったという。一方で「他の仕事が無かったら原画でもいいから参加したかった」とも語っている。) 1984年末、劇場版アニメーション映画『王立宇宙軍』制作のため、山賀博之、岡田斗司夫らが株式会社ガイナックスを設立するとこれに参加。 上記の『王立宇宙軍 オネアミスの翼』や、『ふしぎの海のナディア』などの作品でキャラクターデザイン、作画監督として活躍した。 『R20 歯車のある街』以降は主に漫画家、イラストレーターとしての仕事へシフトし、アニメでは主にキャラクターデザインを行う。 キャラクターデザインを担当したアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の大ヒットでコミカライズ作品もヒットし、イラストレーターとしてはムーンライダース、エリック・クラプトンなどのジャケットデザインも行っている。