俺は、同田貫正国。俺のことを不格好とかいう奴もいるけどさ、刀に何を求めてるんだろうな。<br /> 俺たちは武器なんだから、強いのでいいんだよ。他の連中にできなかった兜割り、成功したのは俺だけなんだぜ?<br /> <br /> 同田貫正国とは、同田貫派の刀工の祖。あるいは彼が打った刀の総称であり、本来は特定の刀を指す固有名詞ではない。<br /> しかし天覧兜割りの逸話で一躍有名になった一振りが、現在では「同田貫正国」としてよく知られる。とうらぶの同田貫正国もこの刀の事であるようだ。<br /> 明治19年11月10日、東京府麹町区紀尾井町(現東京都千代田区)へ天皇が行幸。この時披露された刀による鉢試しが、俗に「天覧兜割り」と呼ばれる。<br /> 数々の剣術家が名刀を振るって明珍作の兜に挑む中、榊原鍵吉だけが見事これを成功させた。<br /> 兜には切り口三寸五分(約10.6cm)、深さ五分(約1.9cm)の斬撃痕が入り、この逸話は同田貫が如何に頑丈な刀であるかを余人に広く知らしめる事となった。<br /> 天覧兜割りの逸話の付加価値か、著名で、時には高値で取引される事もある同田貫だが、現代の刀剣界での美術的評価は低い。<br /> 同田貫全体が丈夫さを追求した大量生産品、いわば剛刀と呼ばれる物であるため。<br /> 現存する多くが反りが浅く重ねの厚い、見るからに実用刀。その切れ味は「斬るよりも断つ」と表現される事も。基本的に消耗品扱いだったという。<br /> いくつかの時代劇や小説の中に一字変えた「胴太貫」なる名で登場する事があるが、これは同田貫の強さや頑丈さを誇張した創作上の名である。<br /> 「胴を斬り裂いて田んぼまで到達する」という由来で説明されるそうだが、流石にそこまでの威力が発揮できるかは疑問である。